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「イタ車は理屈抜きに楽しいっ!」のウソ。 by 河口まなぶ

2011.06.22

■6月18日、空は厚い雲に覆われていたけれど、お台場潮風公園南駐車場では沢山の笑顔と幸せが光り輝いていた、確かに。「Share Smile! Share Happy!! FIAT500 TWIN AIR × LOVECARS!」は実に66人もの方にツインエアを試乗していただくという素晴らしい成果を上げて幕を閉じた。ちょうどその時、雨が降り出したのも奇跡的だった。この日ご参加いただき、笑顔と幸せを世界に向けてシェアしてくれたLOVECARS!な方々に心から御礼申し上げます。そして残念ながら参加できなかったけれど、この様子をチェックしていただいた方、フォローしていただいた方にも心から感謝いたします。

■さて、そんな素敵なイベントだったのに僕が僕自身のアーティクルに掲げたタイトルは「あれっ?」と思う類いのものかもしれません。が、せっかく多くの方にフィアット500ツインエアを体感していただいた今だからこそ、改めてお伝えしておきたいな、と思うことなのです。

■18日にフィアット500ツインエアを試して帰ってきた人は、ほぼ100%が笑顔で帰ってきました。それはもちろんクルマのおかげ。そう、フィアット500ツインエアは底抜けに楽しく、底抜けに気持ち良い。だから皆底抜けに笑顔になれるし、底抜けに幸せな気持ちになれる。間違いなく。つまりクルマが理屈抜きに楽しく気持ち良く痛快だから…と、確かにそういった側面はあるのですが、実はこれ、ちょっと違うのです。確かに、ひと昔前のイタ車ならばそれでOKではありました。しかし今や21世紀。イタ車に感じる底抜けな楽しさや気持ち良さ、そして痛快な感覚…には実はれっきとした理屈がある、のです。え?夢がない?

■なぜフィアット500ツインエアが楽しく気持ち良く痛快なのか? 実はこれに気付いている人はジャーナリストも含めて少ないのですが(いや、本来的に少ない方が好都合ですが)、探ってみたら歴然とした理由がそこに横たわっていてビックリだったのです。

■まずひと言で言うならツインエアを含むフィアット500の走りから受ける楽しさ気持ち良さ痛快さは、徹底的に練り込まれ磨き上げられたシャシーがあるから、と断言できます。それは僕もたまたま知ったのですが、フィアット500が上陸した時に自動車専門誌「カートップ」の取材で、筑波サーキットで500を走らせる機会を得たときでした。500でサーキット…無意味と思えるはず。確かに500で走る人は少ないでしょう。が、皆さんがやらないことを試して何かを導き出すのもまた我々の仕事。で、走らせた瞬間、背筋に電気が疾ったのでした。

■500はこれまで筑波で走らせた相当数のクルマの中で、ほぼ間違いなく「最も遅い」類いのクルマでした。が、一方で筑波で走らせた相当数のクルマの中で、ほぼ間違いなく「ずっと周回していたい」類いのクルマだったのです。サーキットの限界領域で、500は実にホレボレする安定性を見せつつ、実にウットリできる操縦性を見せてくれたのです。いや正直にいえば、走らせる前まで全く期待していなかったのですが、走らせて思わず「ごめんなさい」と言いたくなるほど素晴らしいダイナミクスが構築されていたのです。

■そしてこの瞬間に僕は全てに納得が言ったのです。「ああ、これだけ限界域で素晴らしい操縦安定性が与えられているからこそ、普段乗りで楽しく気持ち良く痛快なのだ」と。つまりこのクルマで街中を走ったときに「なんとなく」とか「理屈抜きに」と我々が感じている楽しさ気持ち良さ痛快さは、シャシーの実力が高いゆえに「滲み出てしまう」良さに裏打ちされていた、ということなのです。

■もちろん500にはそれ以外にも、楽しいとか気持ち良いとか痛快だとか思える理由はあります。例えばデザインもこれだからこそ、でしょう。そして今回のツインエアに関していえば、とっても個性的なサウンドとビートを備えたパワーユニットだからこそ、の楽しさであり気持ち良さであり痛快さであり…といった魅力を感じるわけです。

■が、それらもやはりキッチリと理屈がある。デザインにしても、全体の造形に始まりディテール、マテリアルからカラーなど、あらゆる部分が考え抜かれています。エンジンにしても単純に時代に併せて燃費と環境性能を狙っただけでなく、人の感情に訴えかけるだけのフィーリングがキッチリと考えられているのです。

■いや、もちろん僕だって実際に見て触れて走らせたら、そんなことすっかり忘れちゃいますよ。単純に、底抜けに、そして「理屈抜きに!」と思える、思わされるものがそこにはしっかりとありますから。何も考えなくても判る楽しさと気持ち良さと痛快さが。

■でも実はそれも、ちゃんと考えられている、ということを知ると意外や新鮮じゃないですか? しかもイタ車だったらイメージ的にはそんなことしてそうもない。が、実際にはキッチリとした仕事をしているわけで、そこにまた面白さがあると思えるのです。もしかしたら、そういうカッコ良さを「伊達」というのかしら?

■ちなみにフィアット500はイタリアの足グルマです。では果たして我が国の足グルマはどうでしょう? なんて考えるのもまた面白いのではないでしょうか? そう考えるとフィアット500ツインエア、実に考え抜かれた1台です。

■というワケで、現代のイタ車に関して「理屈抜きに楽しいっ!」ってのはウソ、というかホントはしっかり考えられて作られてます、というお話でした。